■備えあれば憂いなし-今日の話題 大噴火の教訓-普賢岳と御嶽山と三原山の噴火から学ぶ! 我が国は、活火山が多く、いたるところに存在していることは既知のことと思います。それは温泉を楽しむといった恩恵を得ていることと裏腹に、常に噴火リスクに接しているということでもあります。実際に、噴火による被害はたびたび発生してきました。その中でも注目すべきは、普賢岳、御嶽山、三原山です。これらの噴火災害は、多くの教訓を与えてくれました。①雲仙普賢岳の大噴火は、1991(平成3)年に起きました。火砕流によって、死者40名、行方不明者3名、建物被害179棟、という火山災害として極めて悲惨な結果となりました。死者の中には海外の火山研究専門家や報道カメラマン、消防職員らが含まれています。早くから避難勧告されていたにも関わらず、避難勧告に法的強制力がなかったために多くの人々が危険区域に立ち入っていたのでした。逆にその後大きな被害が結果的にでなかったものの、避難警戒は経済的損失に繋がったという補償問題も持ち上がったようです。防災と経済を回すことの両立をどうするかが得られた課題でもあり、また危険の度合いを正しく確実に周知すること、強靭な街づくりと防災知見を皆で高めていくことが教訓であろうと思います。②御嶽山の大噴火は2014(平成26)年に起きました。河口付近に居合わせた登山者ら58名が死亡、行方不明者5名を出した戦後最悪の火山災害でした。噴火警戒レベル1の段階での噴火でした。多くの犠牲者が噴石によって亡くなっています。観光客や登山者を対象とした噴火対応マニュアルがなかった、噴火噴石に対して身を守れる建造物(シェルターなど)がほとんどなかった、などが挙げられます。警戒レベル1では、心配ない山と誰しも思う中で、予測に反した自然の驚異発生にも、命をどう守るか課題が残されたと思います。③伊豆大島三原山の大噴火は、1986(昭和61)年に起きました。結果として犠牲者は出なかったものの、全島民約1万1千人が着の身着のまま島を脱出し、約1か月間、都内など避難先で過ごしました。この三原山大噴火は、良い教訓を残してくれています。ひとつめは報道陣を含め、早くから報道よりも避難を優先させている点、ふたつめは島民の連絡網や外部情報の確実な入手によって、状況判断が瞬時に行われたこと、みつつめは全島民が協力しあって指示に従ったこと、よっつめは島外避難することに誰一人躊躇しなかったこと、などが挙げられるでしょう。これらは良い教訓として、今後の災害に活かされることが期待されます。 |
コラム:防災用語 「長周期地震動階級」高層ビルは、地震の震源地が遠いにも関わらず、ゆっくりと大きく長い時間揺れることがあります。その揺れの大きさは、震度では表せないため、気象庁はその大きさを「階級」で表すようになりました。階級1は、ほとんどの人が揺れを感じ、吊り下げものが大きく揺れる、階級2は、物につかまらないと歩くことが難しい、食器や本が落ちる、階級3は、キャスター付き家具が大きく動く、不安定なものが倒れる、階級4は、揺れに翻弄される、固定していない家具のほとんどが倒れる、としています。 |
★この日に起きた災害や事件、事故 なし |
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