■備えあれば憂いなし-今日の話題 熊本大洋デパート火災とその教訓! 50年前、熊本県熊本市の9階建てビル「大洋デパート」で火災が発生、104人の死者を出した開店中のデパート火災としては最悪の惨事について、知っている人は今や少ないかも知れません。火災は、1973年11月29日の昼下がりに従業員階段の踊り場付近から出火したと推定されています。発火原因は不明とされていますが、階段に山積みされた段ボールが出火点のようです。人的な被害がここまで多くなった要因については、消防防災博物館の資料に残されています。a083.pdf (bousaihaku.com)。引用してみます。①階段室内及び防火シャッターの両側に大量の可燃性商品が展示、販売されていたため急速に延焼拡大した、②階段やエスカレータを区画する防火戸や防火シャッターのほとんどが閉鎖されなかったためここより店内へと延焼した、③C階段からの出火に伴い発生した濃煙は、階段室を急上昇し7階から順次下階へと進入充満していった。一方3階への延焼拡大により、他の階段・エスカレータ及び工事中のダクトを伝って上層階へとほとんど同時に進入していった。としています。他にも屋内消火栓の使い方を知らなかったことや、通報が遅れたこと等も言われています。教訓としては、防火設備が確実に機能するよう、付近の整理整頓に努めること、火災が発生したら火や煙を遮断する設備を機能させること、階段室等を火や煙の通り道にさせない等でしょうか。ちなみに、その約1年半前の1972年5月13日、大阪府大阪市の「千日デパート」でも火災を起こしており、118名の死者を出しています。この火災は閉店時間中に改装工事にあたっていた工事会社の失火疑いが濃厚とされています。こちらにも消防防災博物館の資料a077.pdf (bousaihaku.com)によれば、①出火階の中央部に2か所エスカレータがあり、出火時、防火シャッターが解放されたままになっていたため、急速に上下階に延焼した、②出火場所は大量の衣料品が陳列されており、また、店内の装飾が多いなどから、濃煙、熱気が生じ、消防隊の内部進入、消火が困難であった、③火災の拡大に伴い、発生した多量の煙は初期において、空調リターンダクト、エレベータシャフトから、さらには下階段、便所排気口、E階段から7階プレイタウンに流出充満していった。としています。スーパーの上階にあり開店していた7階プレイタウンで96名が死亡、22名が飛び降りによって死亡したと内訳が記されています。千日デパート火災と大洋デパート火災は、類似性は乏しく、教訓の共通性はないとされていますが、この火災後の法規制強化を思えば、まだまだ防火管理が不十分であったようです。 |
コラム:防災用語 「被災度区分判定」地震等によって、被災した建物に対し、専門技術者が建物内に入って、その損傷状態(沈み込みや傾斜度、構造体の変化等)を調査し、被災の程度を区分分けすることをこのように言います。誰でも評価判定できる訳ではなく、建築士資格保有者が調査にあたり評価判定します。被災直後に外観からおよその被災程度を判定する「応急危険度判定」(家の危険度を緑・黄・赤で区分)とは別物です。 |
★この日に起きた災害や事件、事故 東海南海西海地震(天武13年)、熊本大洋デパート火災(昭和48年)死者103、負傷者121 |
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